「あ、」
「あれ、日吉じゃん。……って、何でそんな嫌そうな顔するかなー、君は」

屋上の扉を開けば見知った顔が覗く。あからさまに嫌そうな顔を浮かべれば、文句を言って少し頬を膨らませた後でけらけら笑う彼女。

「珍しいね、日吉がこんなとこ来るなんて」
「別に来たくて来てるわけじゃありませんよ。ただ、逃げ場所に困ったんで仕方なく」
「?……あぁ、もしかして"コレ"から逃げてる?」
「げ、……何でアンタまで持ってるんですか」
「あれ知らなかった?今日三年は全クラス調理実習あるのよ。だから三年女子はみんな持ってるはずだけど」
「はぁ……」

彼女の手にある甘ったるい匂いを纏ったそれを恨めしげに見れば「いる?」なんて恐ろしいことを口にしてきた。いりません、と一刀両断して彼女の隣に腰を降ろす。

「……先輩」
「んー?」
「どうしてここに?」
「あれ、気になる?」
「茶化さないで下さい」
「もうそんなに苛々しないでよ。……んー、まぁ強いて言えば君と似たような理由よ」
「そうですか」
「聞いておいてそのリアクション?冷たいなぁ」

先輩はそう言って少しだけ頬を膨らませてみせる。
本当に年上なんだかそうでないのか、よく分からないリアクションを取る人だ……なんて思いながら淡々と返事を返した。

「それ以外返す必要がなかっただけです」
「まぁ、いいけど。……それにしても、」
「何ですか」
「日吉も大変だよねー。あんなホストクラブまがいな部活に入って」
「それは貴女も一緒ですよ」
「私?別にそんなことないよー。君達に比べたら呼び出されたり追いかけられる回数もそんなにないし。それに、」
「……それに?」
「それに、何だかんだ言いつつもいざとなったら助けに来てくれるじゃん、君達」
「……」
「日吉?……私、なんか変なこと言ったかな?」
「……アンタって本当におめでたい人種ですよね」
「それよく言われる」

無邪気に笑う彼女を不覚にも綺麗だと思ってしまった自分が馬鹿らしくなり盛大に溜息を零す。

「さっき何で私がここにいるかって日吉聞いたでしょ?」
「……はぁ、まぁ」

彼女の唐突な質問にどう返答していいのか分からず、曖昧に頷いてみる。

「実はさぁ"コレ"争奪戦、今回結構ひどくてね」

困った表情で手にしていたそれを恨めしげに見つめている彼女。

「……理解出来ました」
「物分かりのいい後輩持つと楽ねー」

隣に座っている彼女――先輩は俺が所属する氷帝学園男子テニス部正レギュラー専属マネージャーだ。
女子批評なら部内一うるさい忍足さんと向日さん曰く、顔は中の中。学年トップの跡部さん曰く、成績は中の上。同じクラスの宍戸さんと芥川さん曰く、運動神経は中の下。
……と、どこにでもいそうな平凡な女性だ。
ただ一つ他人と違う所を挙げるとすれば、料理が非常に上手いことだろう。その腕前はあの舌の肥えた跡部さんを唸らせた程だ。
調理実習でその腕前の評判は瞬く間に全校へと広まり、事ある毎に彼女の料理を目当てとした争奪戦が繰り広げられるのはいつからだったか。その気取らないざっくばらんな性格から老若男女問わず人気がある彼女、それ故に繰り広げられる争奪戦。
今回も例に漏れず争奪戦は繰り広げられている模様だが彼女曰く今回はいつもよりひどいらしい。その様子が簡単に想像出来る自分に思わず顔を顰める。

「あー、戻るの怖いなぁ……」
「今更戻る必要がありますか?」
「真面目が売りの私にはあるんですー。……って、日吉このままサボるつもり?」
「当たり前です。あんな地獄はごめんですから」
「日吉って真面目なのか不真面目なのかよくわかんないよね」

溜息交じりでそう呟かれたその言葉に俺は口角を上げる。

「ありがとうございます」
「別に褒めてないって。……あ!」
「?……何ですか、いきなり」
「"コレ"、日吉もらって」
「はぁ?!アンタなに言って……」
「だって私の手から"コレ"がなくなれば追い回されることもないんだもん」
「アンタはそれでいいかもしれないが俺には何のメリットもない」
「よく考えてみなよ、日吉。私から"コレ"をもらうことで既成事実を作ることが出来る。食べる、食べないは自由だけど日吉が断る手間を半減させることは出来ると思うけど」
「何で……あっ」
「ふふ、気付いた?だってこのさんの手作りだよ?勝負しようとする女子なんてなかなかいないでしょ。それに、」
「……それに?」
「私の手作りマフィン食べれるし、一石二鳥だと思わない?」
「本当にアンタって人は……」
「"おめでたい"って?」
「……人の台詞取らないで下さい」
「はは、ごめんごめん。……ま、マフィンもなくなったことだし10分遅れで授業に行くとしますか!」
「俺に押し付けただけでしょう」
「細かいことは気にしちゃ駄目よ」

そう言いながら彼女は屋上の扉に手をかける。しかし何かを思い出したのかまた「あ!」っと声を発した。

「今度は何ですか」
「そのマフィンだけど、心配しなくてもそんなに甘くないから」
「は?」
「もし食べないんだったら忍足辺りにでも押し付けておいて」
「え、ちょっ!先輩?!」

それだけ言い終えると彼女は俺の言葉を無視して屋上を後にした。
甘ったるい匂いを纏ったそれは手のひらの上で少しだけ優越感を俺に与える。
05.寂寥ユーフォリア

'09/11

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