小さい頃から『可愛い』だの『美人』だの、と持て囃されて生きてきた。好きだと言われ続ける日々が楽しくて仕方なかった。だって〈想われる〉ことは気分がいい。




「――っ、センパイっ!」
「んー?」

SHRが始まる前のざわついた教室に見慣れた顔が走り込んできた。朝練終わりでテニスバッグを肩にかけた"後輩"は息を切らせながらこちらに向かってくる。このテニス部の少年がこうして教室に来るのも日常茶飯なので私もクラスメイトも驚きはしない。のんびりと彼の方を向けば、勢いよく質問が飛んでくる。

「仁王センパイから聞いたんすけど、俺と《付き合ってもいい》ってマジっすか?!」
「んー……」
「ちょっと!どっちなんスか!!」
「さぁ、どっちかなぁー?」

にやりと笑って返せば、くしゃりと表情を歪めた彼の「……おれ、都合よく解釈するッスよ」という声が落ちてくる。――赤也の"そういう顔"かっこいいなぁ、なんて暢気に思う。だから「お好きにドーゾ」なんて、ちょっとだけ意地悪をする。そんな私を悔しそうに見てくる赤也が可愛くて仕方がない。

「ほら、もうチャイム鳴っちゃうよ?」
「だぁぁーーっ!今度の休み、ぜってぇー空けといてくださいよっ!!」
「はいはい、わかってるよー」

彼はそう叫ぶと教室を後にする。その背中に向けてひらひら手を振ると、隣から「あんまりからかってやるんじゃなか」と独特の訛りが降ってきた。声の主である銀髪の男は、こちらを向いて溜息をつく。なによ、失礼しちゃう。

「からかってるのは雅治も同じでしょ。《付き合ってもいい》なんて吹き込んで……なに考えてんの」
「お前さんもいい加減素直になりんしゃい」
「余計なお世話ですー」

核心をつく言葉にムッとして頬を膨らませれば、本日二度目の溜息。同時に担任が入ってきたので雅治はそれ以上何も言わずに自分の机に戻っていった。あの"幼馴染"は何でもお見通しのようだ。「詐欺師」の異名は伊達じゃない。


『素直になれ』なんて……今さらだ。〈想われる〉方がいいんだもん。




"部活の先輩の幼馴染"――彼女と知り合ったのは今から4年前、中1のときだった。よくテニス部の練習に来る彼女は、美人で気さくで、優しくて……。仁王センパイの〈彼女〉と噂されるセンパイはあの頃からずっと俺にとって高嶺の花だった。欲しいものはどんな手を使っても手に入れたい性分だからこの4年間必死で追い続けた。いいように遊ばれてると感じないわけではないが、懐に入れればそれでよかった。

やっとの思いでこぎつけた買い物デート。緊張と不安で目の前にあるファーストフードの味もさっぱりだ。そんな俺を余所に彼女はにこにこしながらスプーンを差し出した。

「……なんスか」
「はい、赤也、あーん」
「は?……ちょっ、むぐ、」

『あーん』という声と共に口の中に甘さが広がる。状況を理解して慌てふためく俺をやっぱりにこにこしながら見ているセンパイはいつもより幼く見えた。っていうか、これ「間接キス」じゃないのか。

「美味しいでしょ、そのプリン」
「うまいっすけど……」
「浮かない顔してる赤也くんに先輩から幸せおすそ分け!」

せっかくのデートなんだしさ、なんて言ってのける彼女に遊ばれてる感は否めない。しかし運よく間接キスが出来たことは今日の収穫とも言うべきなのではないかと、普段あまり使わない脳をフル稼働させて考えた。それから今まで通り他愛もない話をして、彼女を駅まで送る。

センパイ、今日はありがとうございましたっ!」
「ううん、私の方こそありがとう。楽しかった」
「俺も楽しかったっス。……また、誘ってもいいっすか?」

不安混じりの情けない声。あー、もっとかっこよく誘えねぇのかよ俺。グッと拳を握った俺の耳に「もちろん」という言葉。それと共に唇に柔らかな感触。一瞬何が起きたのかわからなかった。周りの音が遠くに聞こえた。

「なっ……!!!」
「ふふ、じゃあ、また明日ねー」

そうやって彼女は改札をくぐって雑踏に消えていった。呆然と彼女の背中を見送る俺はまた〈遊ばれた〉のだと気付き、「あの小悪魔……!」と叫ぶしかなかった。






「……、」

赤也とデートした次の朝、苦虫を噛み潰したような顔をした幼馴染に呼び止められる。

「なに?」
「あんまり赤也をいじめてやるんじゃなか」
「人聞き悪いなー。なにもしてないよ」
「ほう……。赤也が昨日『小悪魔に唇奪われたッス!』って泣いて電話してきよったんじゃがな?」
「うっ……」

にやりと意地悪気な雅治に思わず言葉が詰まる。心当たりがないわけじゃない。でもあれは『素直』になんてなれない私の精一杯。そんな私に横の男は溜息を一つ付くと「いい加減にしとかんと痛い目見るぜよ」と忠告してくるので、つま先に力を入れてそのうるさい口を塞いだ。

……"その癖"、どうにかしんしゃい」
「雅治が悪いんでしょー」
「もうどうなっても知らんナリ」
「余計なお世話だよ」

また溜息を付く彼の口をもう一度だけ塞いだ。



学校に着くと朝に弱いはずの赤也がもう既にいて、いつもより低い声で「ちょっといいっスか」と腕を掴まれた。あまり使われることのない視聴覚室に放り込まれ、彼が鍵を閉めたので逃げ場を失った。いつもと雰囲気の違う彼に少しの恐怖を感じる。

「なぁ、センパイ。……アンタ結局誰が好きなの?」
「なにそれ」
「俺、本気でセンパイのことが好きっす。中学のときからずっと」
「知ってる」
「アンタはいったい誰が好きなんすか……仁王センパイ?それとも、」

低く吐き出された言葉にどくんと胸が鳴る。赤也のそういう顔好きなんだよ――意識の端でそんなことを考える。しかし引っかかるのは最後の言葉だ。

「なんでそこで雅治が出てくるの」
「元々、仁王センパイの〈彼女〉って噂あるんすよアンタ。それに、」

俺は一度言葉を切って深呼吸をする。朝からあんな現場見せられて平気なわけがない。でもそれぐらい本気だった。

「今朝、仁王センパイとキスしてるの見たっす」
「あー……」
センパイにとって俺は〈遊び〉っスか?」

拳を握りしめ、振り絞った声は情けなく震えていた。そんな俺に彼女は「怒んないでよ赤也」と優しく囁く。そして昨日と同じ柔らかな唇が俺に触れた。驚いて体を離した俺はずるずると壁にもたれかかるようにその場にしゃがみこんだ。

「ほんともうなんなんスかー」

はっきり言って泣きそうだ。なんでこんなにも彼女が好きなのか、自分でもわからなくなってしまった。
俺と目線を合わせるようにしゃがんだ彼女は「……赤也が好き」と呟いた。

「そんな言葉じゃ騙されねぇーっス」
「ほんとに好きなんだけどなぁ……どうしたら伝わる?」

少し寂しそうにする彼女に「じゃあ、『好き』って言って、もう1回ちゅーしてよ」と意地悪気に返す。俺の言葉に顔を真っ赤にして俯く彼女が可愛かった。もうなんだかそれだけで十分かもしれない、そう思った矢先――。


「結局、朝のアレなんだったんすか」
「子どもの頃の癖っていうか……」
「は?」
「雅治の口撃を止める手段で使ってたらいつの間にか癖になっちゃって……」
「だから言ったじゃろ、どうにかしんしゃいって」
「仁王センパイ?!」
「むー、気持ちいい雅治の唇が悪いんでしょー」
「ちょっと2人とも冗談きついッスーーー!!!!」
チェリーチェリー

'16/02