それは例えば、誰もいない階段裏の廊下――。
遅刻寸前のタイミング、低血圧で不機嫌そうな気配に囲われた。息をする暇もないほどに貪られて、手にしていた鞄は重力に逆らえずに落ちていく。何度も何度も角度を変えて繰り返される"それ"は、もはや凶器だ。逃げることを諦め、彼の首に腕を回す――ベルの合図は意識の端に消えた。

それは例えば、昼休み後の視聴覚室――。
カーテンの引かれた薄暗い部屋の隅で、伸ばした脚に感じる重み。太腿にかかる彼の真っ黒な髪がくすぐったい。あどけなさの残る顔に自然と笑みが零れる。見た目よりも少し柔らかいその髪を梳いていると、タイを引っ張られる。いちごオレの香りが鼻腔を掠め、口いっぱいに甘ったるさが広がる。至近距離で、いつの間にか意思を持った瞳に見つめられ――白旗を上げるべく、息を吐き出した。

それは例えば、人もまばらな駅のホーム――。
肩を並べてベンチに座る。電車の到着時刻まで特に話すわけでもなく、お互いにスマートフォンをいじるだけ。夕方特有のオレンジ色が眩しくて思わず目を瞑った。仄かに香った整髪料、彼が動いた気配を感じる。音を立てて吸いつかれる感触に驚いて、目を開くと5色のピアスが輝いていた。

「……今日の光、なんや質悪い」
「それはどーも」
「褒めてへん」
「――いつもと色のちゃう、サンの唇が悪いんっすわ」
それは例えば、キミの――――。
'17/02