「あ、先輩。やっぱりここにいらしたんですね」
「……か」

は重たい扉を押し開け、その先にいる人物に声をかけた。彼はの声に気付き、いじっていた携帯から目を離し彼女を見る。

「今日の主役がこんな所にいていいんですか?」
「別に俺が抜けても構わねぇだろ。やることは終えたんだ」
「あら、そうですかぁ?……先輩のファンの方々は『跡部様と写真撮りたかったのにー!』って嘆いてましたし、忍足先輩なんて『跡部の裏切り者ー!!』って鬱陶しいほどに叫んでましたよ?」
「忍足も取り巻きの騒ぎもいつものことだが今は聞きたくねぇな。……おい、
「はい、何でしょう?」
「お前何故ここにいる?」

彼は後輩であるこの少女が今、何故自分の元にいるのかが気になってそう聞いてみる。そうすると彼女は両手を後ろで組み、にこっと笑ってこう言った。

「もちろん、先輩を探しに来たんですよ」
「……役員の仕事は?まだ残ってるはずだろ?」
「何言ってるんですか、先輩。仕事が終わったから先輩を探しに来たんですよ?」

その彼女の言葉に彼は一瞬驚き目を見開いたが、少し考えた後「そうかよ。……お前もここ座れ」と言う。彼女は「失礼します」と一言置いてから彼の隣に腰を下ろした。そして座るなり「私の仕事っぷりは先輩が一番知っていると思ってましたけど、違いました?」とクスリと笑いながら付け加えた。その言葉に彼は面食らったような顔をして、苦笑を漏らした。

「本当にには敵わねぇな」
「お褒め頂き光栄です」

がそう頭を下げると、彼は先ほどまでいじっていた携帯を閉じポケットの中にしまった。彼女はそんな彼をじっと見つめていた。そして意を決したかのような顔をして彼を呼んだ。

「跡部先輩」
「何だ?」
「ご卒業、おめでとうございます」
「あぁ」
「先輩が卒業するなんて、何だか嘘みたいです」
「何だ、それ。この俺様が留年するとでも思ってたのか?アーン?」
「いや、そういうことではなくて……。その、先輩がいた生活が当たり前になってましたから……それが急に変わると思ったら何だか夢なんじゃないのかって思ってしまって。……すみません」
「そういうこと、か。……ま、実際卒業する実感はねぇな。このまま大学に進学するしな」
「先輩の頭の中に『引退』と『卒業』の言葉なさそうですよね。任期終わってもしょっちゅう顔出しに来てたし、テニスの方だってインターハイ終わっても練習してましたし……」

がそう呆れ半分、尊敬半分という口調で言う。――いや、呆れ半分というよりは七割方呆れという方が正しいだろう。
それを聞いた跡部は珍しく吹き出し笑った。笑う彼を見て彼女は少しムスっとした顔で呟く。

「そんなに笑わなくたっていいじゃないですか」
「いや、のしゃべり方が妙にツボだったもんでな。……っはは」
「それなら尚更笑わないで下さいよっ!」
「……そんな怒んなよ、可愛い顔が台無しだぜ?」

笑ったことに大して悪びれた表情もせずに相変わらずキザな台詞を吐く跡部には膨れっ面をしてそっぽを向いた。

「ひどいです、先輩」
「……あまりにも可愛かったからつい、な」
「理由になってないですよ、それ」

はクスっと笑って言う。そんな彼女を見て跡部もそっと微笑む。

「まさかがわざわざ俺を探しに来るなんて思ってもなかったな」
「意外でした?」
「……まぁ、な。で、何か俺様に用があったんじゃねぇのか?」
「いや、用という用はなかったんですけど……」

跡部の問いに少し戸惑ったのかは口ごもった。まるで咄嗟に言いそうになった言葉を飲み込むかのように……。の言葉を不思議に思った跡部は彼女の目を真っ直ぐに捉えて「どうした?」と聞く。それを彼女は誤魔化し逃げるかのように視線を逸らし、少し俯く。苦笑を浮かべながら目の前の彼女を見る跡部は手を伸ばし、小さい子をあやすように髪を梳いた。

「……先輩」
「何だ?」
「卒業しても、来てくれますか?」
「そうだな、お前達だけじゃ心配だからな」
「何ですか、それ。まるで私達が頼りないみたいじゃないですか!」
「冗談だ。テニス部の練習もあるだろうからな。どうせだ、毎日でも顔出してやる」
「毎日は鬱陶しいので結構です」
「……お前、言うようになったじゃねぇか。こうなったら絶対毎日顔出してやる」

跡部はそう言うと髪を梳いていた手を止め、もう片方の手も伸ばし両手での髪をわしゃわしゃとかき回した。は彼の行動に顔をしかめて、止めようと「やめてくださいよー」と言いながら彼の腕を掴む。恨めしげな目で彼を見ればそこには『してやったり』と言わんばかりな笑顔。そんな彼をキッと睨みながら腕を掴んでいた手を離し、自分がされたことを跡部にもした。

「?!……テメェ、何してくれてんだよ?」
「仕返しです」

は跡部によってぐしゃぐしゃになった髪を整えながらそう言った。その顔は先ほどの跡部のように不敵に微笑んでいる。跡部は彼女のそんな顔に少し不貞腐れたような顔をしながら髪を整えた。

「……しっかし、みたいな後輩も珍しかったな」
「どういう意味ですか、それ」
「俺様に媚びない女……ましてや後輩なんてそうそういねぇからな」
「うわ、自信たっぷりに言いますねー」
「フン、ま、俺様だからな。……そうやって生意気なこと言う後輩もお前ぐらいなもんだぜ?」
「私は思ってること言ったまでですよ?」
「本当に口の減らない女だな」

相変わらずな口調で微笑むに跡部はニヤリ顔を向け、彼女の後頭部に手を回しグッと引き寄せる。

「先輩……。あのっ、」

はスカートの裾をキュっと軽く握る。そして顔を上げる――ゴツン!
が顔を上げた拍子に彼女の頭が跡部の顎に直撃したのだった。

「……っ!おい、。大丈夫か?」
「ったぁ……。いや、先輩こそ大丈夫ですか?」

頭の打った部分をさすりながらが言うと跡部は「あぁ、何ともねぇよ」と笑って言う。その返事に彼女は胸を撫で下ろし「よかった……。それからすみませんでした」と謝った。

「別に謝る必要なんざねぇよ、わざとじゃねぇんだからな。それより何か言いかけなかったか?」
「あ、はい。……跡部先輩。あの、……第2ボタン頂けませんか?」

跡部はその言葉に一瞬目を丸くし驚いたが、すぐに微笑むと「ボタンなんかでいいのか?」と言い自分の制服の第二ボタンを取った。

「はい、跡部先輩の第2ボタンが欲しいんです」

がそう言うと跡部は「そうかよ。お前も物好きな奴だな」と言って彼女の手のひらにボタンを置いた。

「ありがとうございます」

満面の笑みを浮かべる。それを見て何かを言おうとしている跡部。
その時どちらかの携帯が鳴る。

「ちっ、」

跡部は舌打ちをし、携帯を取り出し通話ボタンを押す。

「……何の用だ?大したことじゃねぇなら切るぞ、忍足」
『跡部、お前俺ら見捨ててどこほつき歩いてんねんっ!!』

電話から聞こえる耳を劈くような怒声。その声に跡部は思わず携帯を耳から遠ざける。傍にいたにも聞こえるほどの大音量で彼女は苦笑を浮かべる。

「ったく、んな大声出すんじゃねぇ。用がねぇなら切るぞ」
『自分薄情すぎひんか?大体今どこに居るん?』
「……屋上だ」
『はぁ?屋上?』
「あぁ。もいる。何なら変わってやろうか?」
『ホンマか?変わってくれ!……って、アホか!』
「……ったく、何なんだよ」

先ほどからずっと大声でしゃべる忍足に跡部はさぞ鬱陶しそうに言う。そんな彼を見ながらは苦笑を浮かべたままだ。

『(あー、もう忍足変わって!)……もしもし、跡部?』
「何だ、ジローか」
「跡部さ、逃げるのもいいけどそろそろ戻ってきなよ。……みんな待ってる」
「……あぁ、そうだな、と言いたい所だが後ろのうるせぇ奴どうにか出来ねぇのか?」

慈郎に携帯を奪われた忍足は彼の後ろでずっと「おい、ジロー。変われや!!」とずっと叫んでるのである。そんな彼に慈郎は「ねぇ、忍足。少しだけ黙って?」と言う。それが聞こえた跡部は大きな溜息を一つ付きこう答えた。

「……変態眼鏡がうるせぇから今からそっちに行く」
『了解。じゃあ待ってるねー』
「あぁ」

そう言うと彼は電話を切った。

「……下へ戻られるんですか?」
「あぁ、アイツらがうるせぇからなぁ……」
「そうですねー」

はクスっと笑って答え、そして立ち上がる。それを見て跡部も立ち上がり扉の所まで歩いて何かを思い出したのか立ち止まった。


「はい?」

そう呼ばれて真正面にいる彼を見ると手招きをしていた。は首を傾げながら小走りで跡部の元へ向かう。そうすると彼は彼女の耳元で何かを囁いた。

「             」
「!?跡部先輩……」

は驚いて跡部の顔をまじまじと見る。そんな彼女にニヤっと笑う跡部。

「お前に拒否権なんてねぇからな?」
「……はい!」

二人は屋上を後にした。

『おまっ、跡部!!逃げるとかホンマせこいわっ!!』
『うるせぇ!大声で騒ぐんじゃねぇ、忍足』
『……しっかし、ちゃんまで一緒だったとはなぁ』
『意外でした?』
『そりゃね』
『ホンマ何であんな暴君の元に行ったんか……。お兄ちゃん悲しいわぁ』
『暴君じゃねぇ!』
『……跡部先輩、忍足先輩、向日先輩、芥川先輩、宍戸先輩、滝先輩』
『ん?』
『ご卒業おめでとうございます』
『……あぁ、ありがとう』
『ホンマちゃんはいい子やわぁ』
『忍足が言うとどこまでも卑猥に聞こえるな』
『何やて、宍戸!』
『お前が言うとどこまでも卑猥に聞こえるって言ってんだよ。マジ激ダサだな』
『……そろそろ帰ろっか、ちゃん』
『はい、芥川先輩、滝先輩』
『あー!!ジロー、滝!それは抜け駆けやで!!』
『お前ら本当にうるせぇ』

こんな賑やかな先輩達が卒業してしまうのは淋しい……。でも、いなくなるわけじゃない。バカやって、騒ぎあって、笑って、ケンカだってしょっちゅうあったし、時には泣いたこともあった。その全部がいい思い出。
今、先輩達と出会えて本当に良かったと心からそう思えます。




一年後――。
雲一つ見当たらない絶好の卒業式日和。
グラウンドでは在校生や保護者が卒業生と写真を撮ったり、思い思いのことをしている。
そんな中誰もいないはずの屋上に少女が一人いた。少女の名前は。彼女の胸元にはピンクの花のブローチ。そして手には卒業証書が握られていた。

「あぁ、ここにいたんだ」
「……本当に手のかかる奴だな」
「チョタ、日吉……」

声がする方を向けばそこには彼女と同じように胸元に青い花のブローチ、手には卒業証書を握った少年が二人いた。しかし彼らには違和感があった。

「うわぁ、見事に色んな物がないわねぇ」
「あぁ、あっという間になくなってたんだよ」
「……その点跡部さんはさすがだよ」

そう、彼らにあった違和感。それは制服にあるべきはずのボタンやネクタイなどが見事になかったのだ。二人はの近くのフェンスに寄りかかった。

「相変わらずおモテになることで」
「少なくともお前に言われたくないな」
「何でよ?」
のボタンとかネクタイとか狙ってる奴、結構いるんだよ?」
「へぇー」

興味なさ気に笑うの長い髪を吹く春の風がそっと揺らす。その光景を見て鳳と日吉はふっと笑う。

「あ、跡部さん来てるから」
「先輩が?」
「あぁ。俺らはグラウンド戻るからな」
「や、ちょっ、二人共っ!」
「ま、頑張りなよ」
「ひどいよ、二人して!」

屋上の扉の方まで歩いている二人には叫んだ。


「……え」

不意に日吉がを呼ぶ。しかし彼は彼女に背を向けたままだ。

「終わったら卒業パーティーみんなでやるからな」

そう言って屋上を後にした。

「私の返事は待たないのね……」

は笑った。その時――屋上の扉が開いた。

「……跡部先輩」
。卒業おめでとう」
「ありがとうございます」

扉の向こうからやって来たのは昨年卒業した跡部だった。彼はの傍まで歩み寄ると彼女の腕をグッと引き抱きしめた。突然のことに雪綺は驚き、慌てる。

「!?……先輩?」
「なぁ、。去年のこと覚えてるか?」
「もちろんです」
「……本当にいいんだな?」
「拒否権なんてないって言ったの先輩ですよ?」
「あぁ、そうだな」

そっと微笑む彼女の後頭部を押さえ跡部はに口付けた。

「……。今からその敬語と『先輩』って使うなよ?」
「はい!……あ、」

もう癖になっていたのだろう。思わず使ってしまった敬語には口元を手で覆った。跡部は口角を上げ彼女の手をどかしてもう一度口付ける。

「ん……」
「敬語と『先輩』を一回使うごとにキス一回、だな」
「えー!!」

屋上にはの叫びが響き渡る。

秘密二人だけの約束。
卒業式が結んだ小さな恋の始まり。
Graduierung

'09/03