「あれ〜?さん、全然飲んでないじゃーん!」

平日週5日の勤務を終えた、はなの金曜日。どこから湧いて出たのか、人でごった返した歓楽街。ご多聞に漏れず、六本木の居酒屋――と言うにはあまりにお洒落すぎるお店でグラスにビールを注ぎながら私は愛想笑いを浮かべた。はす向かいに座っていた男の先輩がへらへらと笑いながら大声で話しかけてきたので何事かと近くにいた数人がこちらを見た。

「あー、えっと、私お酒飲めないんですよ」
「えー?そうなのー?意外だなぁー、見るからに酒豪!って顔してんのに!」

なぁ?という先輩の投げかけと周囲の頷きに、苦笑いを堪えつつ「はは、それってどんな顔ですかー」と返すに留めた。彼の持っている空いたグラスにすかさずビールを注ぐ。周りの、どっと笑う声が嫌に耳に付いた。


――ああ、めんどくさい。


「もーっ!やってらんない!」
「ったく、くだらねー飲み会がある度に俺様のところに来てんじゃねぇよ、テメェは」

3次会まで行われた飲み会の後、方面の近い人同士でタクシーに相乗りしていく先輩や同僚を適当に誤魔化して1人涼しくなった秋の夜道を歩き、お店からほど近い高級住宅街の一画にあるマンションの最上階を訪ねた。
玄関先に出てきた男は私を見るなり綺麗な形をした眉を顰め、頭を小突いてきた。……それ地味に痛いんだってば。

「だって!あんな失礼なこと言われて楽しく飲めるわけないし!」
「ああ?知るかよ、俺様には関係ねぇ」

しかめっ面のまま、文句を言いつつも中に通してくれる跡部に続いて、相変わらずだだっ広い――20代の社会人が到底買えるはずもない広さの部屋に足を踏み入れた。これで〈書斎〉にしか使用しない別宅というのだから、まったく一般人とはかけ離れた感覚の男だ。

「……それに、跡部と飲むお酒の方が、美味しいに決まってる」
「あん?んなの当り前だろうが、バーカ」

愚痴に紛れ込ませるように小さく小さく呟いた本音を、美しすぎるほどのどや顔であっさり肯定され、私は何だか居心地が悪くなった。眉と口の端を下げ、二の句を継げずにいる私を余所に跡部は「おい、。飲み直すんだろ?さっさと来い」と顎をしゃくった。

リビングの中央に置かれた座り心地のいいソファに沈み込み、シャンパングラスを呷った。さすが跡部の選んだものだ、飲みやすいその味に頬が自然と上がる。
隣に座っている跡部はといえば、グラス片手に何やら大量の書類に目を通していた。
何てことない涼しい表情をしているが、この男は中学時代から何かと忙しい人間だった。200人を超える部員を抱えるテニス部の部長だけでなく生徒会長まで務め、その後も何足もの草鞋を履き続けてきた男こそ跡部景吾だった。
勝手に押しかけた手前、邪魔をしてはいけない。そっと体を横にずらそうとしたとき、作業する手を止めないまま跡部が声を発した。

「……で?今日は何を言われてきたんだよ」
「あ、や……大したことじゃない……。それに、仕事の邪魔しちゃう」
「アーン?なに、しおらしくしてんだ気持ち悪りぃ。俺様にかかればこの程度の仕事なんざ、テメェの愚痴の1つや2つ聞きながらでもできんだよ。おらっ、とっとと吐け」
「なっ……!?」

まったくこの男は、顔に似合わず口が悪くて横暴だ。だけど、懐に入れた人間を放っておけない人だ。そんな跡部だから色んな人間が彼を慕い、彼に付き従っていく。それを中学時代から嫌と言うほどに見てきた。
浮かせた腰をそのまま下ろした私は、ガラステーブルに置いてあったシャンパンを一口飲んでからぽつり、ぽつりと話し出した。

「……いつものように『飲んでないじゃん』って言われて、」
「ああ」
「お酒だめなんですって言ったら『諏訪さん、見るからに酒豪!って顔してんのに!』って言われた。……もうほんと失礼な男ばっかり!」
「はっ、言い得て妙だなそれ」

鼻で笑う跡部に私はむすりとした表情を隠しもせず、またシャンパンを呷る。一気に飲み干したグラスに、また彼の手によって蜂蜜色のそれが注がれる。

「跡部までひどい」
「顔のことはまぁあれだが、が<飲兵衛>だって知ってんのは俺ら氷帝の奴ぐらいだからな。俺に言わせりゃあ、その男なかなか見る目あんじゃねーの」

あまりの言い草に返す言葉すら浮かばず、私はまたグラスを口に運んだ。

確かに私がお酒を口にするのは、決まってプライベートなときだけだったし、その飲み会もほとんどが勝手知ったる氷帝の旧友達だから知っているのはごく限られた人間しかいない。過去にお酒で失敗をしたわけでもないけれど、気心知れた人間と一緒でないと飲みたいと思えないし、お酒も美味しいとも思えなかった。
跡部のこの広すぎる〈書斎〉のことを知ったのも、久しぶりに集まった氷帝テニス部の飲み会の後だった。あの時はお互いいい感じに酔っていたが飲み足らず、お店を探していたが目ぼしいところもなかった。それにしびれを切らした跡部が自らの小城を提案し、私も跡部のところならいいお酒が飲めると嬉々としてその提案に乗った。
案の定、彼の部屋に常備されていたお酒は一般人の私でもわかるほど、どれも美味しいものだった。その味と居心地の良さに、跡部が追い返さないことをいいことに、今日のように飲み足りない夜は彼の別宅を訪れる習慣ができてしまった。

手に持ったグラスに注がれた蜂蜜色が一体何杯目なのかもわからなくなるほど、とろとろと思考が落ち始めた頃。ようやく仕事が片付いたのか、大量にあった書類をテーブルの奥へと追いやった跡部の手が私の髪を梳く。

「おい、寝るならシャワー浴びてからベッドルームでにしろよ」
「んー……」

まだラケットを握る――社会人になってからはお遊び程度のテニスだけになったと言っていた――大きくゴツゴツとした手が存外優しく髪を撫でてくるもんだから瞼が重くなっていく。生返事だけで動かない私を見かねたのか「……ったく仕方ねぇ奴」と零した跡部は立ち上がり、近くに置いてあったブランケットを掴んで私にかけた。
もうほとんど眠りに引きずられていた私が、跡部の「……毎回毎回、寝落ちで〈オアズケ〉食らうこっちの身にもなれってんだよ」という呟きと眉間に落ちた唇を知ることはなかった。
蜂蜜色の

'18/10