「最近どうなん、自分ら」

今しがた運ばれてきたグラスに口をつけた忍足がおもむろに尋ねてくる。
この関西人独特の言い回しにも随分と慣れたものだなぁ、なんて小洒落たお通しに箸を伸ばしながら思う。

「どうって……。相変わらずたまーに飲みに行くくらいだよ」
「はぁ……自分らほんまに進展せぇへんな。前回はいつや?」

盛大な溜息と呆れた低音が、2人しかいない半個室の狭い空間に響く。
中学時代から付き合いのある忍足と仕事終わりにこうしてご飯を食べることも、煮え切らない恋愛話に呆れた溜息をつかれることも半ば恒例行事だった。私はあまり気に留めることもせず、手を伸ばしてアルコールの入ったグラスを呷った。

「半年くらい前かなぁ。……ほら!最近まで向こうがドイツだったかイギリスに行ってていなかったし?」
「その調子やとアイツが帰ってきた後も連絡も取ってへんな?」
「さすが忍足、ご名答!」
「はぁー……」

茶化したように笑って答える私に向かって再び吐き出された溜息は、料理を運んできた店員の来訪によって遮られた。
途切れた会話にこれ幸いと私は目を輝かせながら箸を進めていく。今回も忍足が選んだお店とあってどれもこれも美味しかった。美味しいお酒とご飯のおかげでフルタイム労働で疲弊した心と体が軽くなったような気がする。

「なぁ、

不意に忍足のやけに硬い声が私の名前を呼んだ。
素直に箸を置いて彼を見やれば、昔と変わらない胡散臭い丸メガネの奥がテニスの試合さながらの鋭さでこちらを見ていた。

「俺らも20代半ばや。"あの”跡部が、この歳まで縁談の1つもまとめへんのは何でなんやろな」


――ああ、これだからこの男はイヤなんだ。


「それ私に聞く?忍足も意地が悪いなー……」

疑問形のようでいて疑問形ではない――まるで独り言のような響きをした――忍足の一言に心臓がひやりとした。それは、ぬるま湯に浸っていないでいい加減腹を括れと言われたようだった。
苦笑いを浮かべた私に忍足は眼光を緩めて笑みをたたえた。

「そら、おおきに。今日の帰り、跡部んとこでも寄って行きや」
「褒めてないし、行かないよ!」
「はいはい」

私の反論を適当に流した忍足がその後、跡部の話題を口にすることはなかった。
美味しいご飯に舌づつみを打ちながらお互いの近況やら職場の愚痴を語らえば、時間はあっという間に過ぎる。忍足とは使う路線が違うので駅前で解散となった。
改札機にICカードをかざしながら忍足の言葉が脳内でリフレインする。人の往来を避けるように立ち止まってちらりと腕時計を確認してから少しの躊躇の後、私は自宅とは反対に向かうホームへと足を進めた。
数駅離れた駅で電車を降りて通り慣れた道を歩き、とある高級感あふれるマンションのドアをくぐった。跡部が別宅として使っている部屋にいるかどうかは五分五分。深呼吸を一回、微かに震える指で訪ね慣れたはずの部屋番号を押した。


***


終えたばかりの海外出張の後処理にようやく目途が立ち、俺は書類から手を離して息を吐いた。長時間の事務作業で疲労の溜まった筋肉をほぐしていると、テーブルの隅に置きっぱなしになっていたプライベート用のスマートフォンが着信を告げる。ディスプレイに表示された名前に思わず舌打ちが零れた。放っておこうか悩んだが、しつこく鳴り続ける機械音にうんざりして仕方なくスマートフォンを手に取った。

『おー跡部。俺や、俺』

昔と変わらない低音でふざけた調子スピーカー越しに聞こえて思いきり眉を顰めた。

「詐欺なら間に合ってる。くだらねーことでかけてくんな、忍足」
『相変わらずつれないやっちゃなー自分。ほんの冗談やん』
「切るぞ」
『俺が悪かった!せやから、切らんとって!』

こいつのくだらない冗談に付き合っていられるかと突っぱねると、慌てて必死に引き留めてくる忍足の声に舌打ちを零した。

「くだらねぇと思ったらその時点で切るからな」
『はいはい、おおきに。さっきまでと飯食うてたんやけど、自分ら半年も会うてないんやって?』
「いいこと教えてやる、忍足。詮索屋は嫌われるぜ?」
『そんなんちゃうわ!……なぁ、跡部。世の中、言わな伝わらんことやってあるで』
「んなこと、テメーに言われなくてもわかってる」

意外とお節介焼きな忍足の有難迷惑な発言にこのまま通話を切ってやろうかと思っていると、滅多にない来客を告げるインターホンが鳴る。

『まぁ、そういうことや。頑張りや〜』

訳知り――十中八九、こいつの差し金であろう軽やかな声に「ふざけんてんじゃねーぞ」と悪態をついたのも束の間、一方的に通話は切れやがった。何度目かわからない舌打ちをしてモニターに視線を移すと、見知った――今しがた話題に上がった――女の姿。深い溜息を吐いて俺はオートロックの解除ボタンを押した。

「……久しぶりだね、跡部」
「ああ」

玄関先で半年ぶりに見た顔に妙な違和感を感じながらも事務的な軽い挨拶を済ませて部屋の奥へと案内すれば、もはや定位置と化したソファに沈み込む姿に少しだけ安堵した。
が単身アポなしでこの部屋を訪ねてくることはそう珍しくはないが、今日はいつものように不貞腐れているわけでもなく、どちらかといえば挙動不審だった。俺は今日何度目になるかわからない溜息をついて、ワインセラーから適当な1本を選んでグラスと一緒にが座るソファ前のローテーブルに置いた。

「今日は〈誰に何を〉を言われてへこんでんだ?」

コルク栓を抜いて2つのグラスにワインを注ぎながらいつも通りの質問を投げてから俺もソファに腰をかけた。

「……今日は忍足と一緒だったから別に何も」
「なら、お前は何をしに来たんだ?アーン?」
「それは、……」

言葉に詰まったを横目に俺はグラスを呷る。
意地の悪い問いだと自覚はあったが、こっちは散々待ちぼうけを食らってんだ。忍足にけしかけられた者同士仲良く長期戦といこうじゃねぇの、とほくそ笑んだ。

俯いたり顔を上げたりをしばらく繰り返したが覚悟を決めたのか、小さく口を開いた。

「跡部のことが好き、って言いに来た」
「……そうかよ」
「え?……それだけ?」

人が一世一代の告白したっていうのに信じらんない!と、耳元でキャンキャン騒いでいるを余所に俺は柄にもなく頬に熱が集まっていることを悟られないようにするので必死だった。

「ちょっと、跡部聞いてんの?……って、顔真っ赤じゃん。もしかしてアンタ照れてる?」
「うるせーよ」
「それはさ、期待していいって思っていいんだよね……?」

さっきまでのテンションはどこへやら。しおらしく、おずおずとこちらを覗き込んでくるの唇を塞いでやった。

「当たり前だろ、バーカ」
唇の上で溶けた

'20/10