何もない日曜日の午後。
お気に入りの、アンティークショップで買った可愛らしいティーカップに注いだ紅茶の香りが鼻腔をくすぐった。文句なしの香りと目の前にあるお洒落な雰囲気の中にある魅惑の甘さを恍惚として眺めた。学生の本分をまっとうしつつ部活動にも精を出す普段では味わえない優雅で幸福な時間だった。女の子であれば一度は憧れるシチュエーションに違いないだろう。そんなことを考えながら非日常を噛みしめていると、リビングの少し奥からママの呼ぶ声がした。

ちゃーん」
「……なによ、ママ」

何やら申し訳ない顔をした、いやでもどこか薄笑いを浮かべているママはいつもより甘ったるい声で娘の――あたしの名前を呼ぶ。そんな彼女に至福の一時を邪魔されたあたしはいぶかしげな声を上げる。

「あのね、ママこれからお食事に行くからちゃん今晩はまーくんの所に行ってもらってもいいかしら?」
「え?!」
「ごめんなさいねー急に入っちゃったの。もうまーくんママには言ってあるから、ね?」
「や、『言ってあるから、ね?』じゃなくて!ママ、あたしもう高校生だし一人でも大丈夫だから!」

のほほんと当たり前のような表情で言うママに危うくお茶を吹き出すところだった。
この人は一体何を言っているのだろうか。いくら家がお隣同士で十数年来の幼馴染でも17の男女が一晩、一つ屋根の下とういうのは如何なものだろうか。それをわかってるのだろうか、いやきっとわかっていない。でなければ、こんな馬鹿みたいなことを両家で了承するはずがない。
持っていたカップをそっとソーサーに置いて、ママの方を見ればきょとんとした顔でこちらを見ている。

「……そう?」
「いくら雅治の家でも、さすがに急にお世話になるほど迷惑なことないし」
「そうよね〜。でもいくら高校生とは言え、ちゃんを一人にするのがママは心配なのよ」

心配そうな表情のママを見て「気持ちはわかるけど……」と言い淀んだ直後、ママの携帯が鳴る。「もしもし、」と受け取ったママは話しているうちに怪訝な顔つきになっていく。話し終えた彼女は「まーくんママ、急に夜勤になったんですって」とあたしに告げた。これ幸いとあたしは行かなくてもいいと言葉にしようとした。が、それは新たな着信音に阻まれた。ママの携帯ではなくあたしの携帯の着信音だった。ディスプレイに映し出された名前にドキリとする、同時に過去の経験から冷や汗も伝う。

「もしもし?」
『お前さん今日家に来るんじゃろ?』
「え、いやでも、おばさん夜勤なんでしょ?悪いからいいよ」
『ほう、遠慮なんぞ知ってたんか』
「……喧嘩なら遠慮なく買うけど?」
『冗談じゃ。今晩、お袋も姉貴も居らんけぇ一緒に夕飯食べんしゃい』
「んー……」

少し言い淀んでチラっと横にいるママを見上げると「まーくんがいいなら行った方がお互いにいいんじゃない?」と言うので「……今から用意してそっち向かう」と彼に告げ、二言三言交わして電話を切った。飲みかけだった紅茶はすっかり冷めきっていて優雅な雰囲気も余韻もないけれど、何故か不思議と嫌な気分ではなかった。ママはそんなあたしを見て、ふと笑う。そして「じゃあ、まーくんによろしくね」と言ってリビングを後にした。


お泊り用の荷物を片手に玄関を出ると目線の先に見慣れた銀髪が映る。
家隣なんだからわざわざ出てこなくてもいいのに。とか、でもそんな妙の優しいところが好き。とか……今更すぎて恥ずかしいから口には出さないけどね。
ふわりと頬を撫でる風、微かに香る夕暮れの香り、自然と上がる口角に心が幸福感で満ち溢れた。非日常が日常に変わる瞬間ってこんな気分なのかしら、と想像しながら「まさはる」と呼んだ。

「やっと来たか」
「いや、どうせ隣だし迎えいらなかったよ」
「そうか?」
「そのにやり顔やめて。気持ち悪い」
「モテ男に言う台詞じゃなか」
「そういうこと自分で言わないの。この恋愛詐欺師!」
「はいはい。……さーて、今日は何食うかのう」
「ハンバーグ食べたーい」
「お前さん見かけによらんな」
「どうせ子どもっぽい味覚してるわよ」

ああだこうだ言いながら勝って知ったる雅治の家を歩く。
非日常が日常に変わり、ほんの少しの日常がまた非日常に変わってゆく。
女の子なら誰でも憧れるそんな繰り返し。あたしの場合近すぎてわからなかったけど、きっとこれがそうなんだ。雅治との日常と非日常。ああ、幸せだ。

ー!」
「なに?」
「手伝いんしゃい」
「……はいはい」
甘いよりもしあわせな

'12/07
title by 確かに恋だった