音の鳴らないスマートフォンが着信を告げる為に震え続けていることに気付いて目が覚めた。
独特の気怠さを感じながら身体を起こし、前髪をかきあげてからベッドボードに放置してあった携帯に手を伸ばす。ディスプレイには〈常に食えない表情をした〉男の名前。あまり気乗りする相手ではないことに深い溜息を零して携帯を手に、まだ彼女の眠るシーツから抜け出した。
「……なんだ、」
『昨晩は随分と"お楽しみ"だったようじゃな?』
「……おい、そんなふざけたこと言う為に電話かけてきたんじゃねぇーだろな、あーん?」
『可愛い冗談じゃき、そんな苛々しなさんな』
「チッ……。それより、何の用だ仁王」
起きたばかりの頭に飄々とした仁王の戯言、正直かなり面倒だ。隠す気もなく盛大に舌打ちをして本題を促す。
『お前さんの隣で寝てる可愛い姫さんを返してもらおうと思ってな』
「あ?」
『この後、出かける用事があってな。を遅刻させると煩いのがおるんじゃ』
「……相変わらず過保護だな、仁王」
『跡部、お前さんもそんな変わらんぜよ。……そんじゃまぁ、シクヨロ』
それ丸井の口癖だろ、と思った時には無機質な音が響ていた。……本当に勝手な奴だ。苦々しい表情でベッドルームへ戻るともぬけの殻だった。遠くの方で音はするので、どうやら起きているようだ。手にしていた携帯をサイドテーブルに置き、着替えを探し始めた。しばらくすると身支度を整えたが部屋へ戻ってきた。シャワーを浴びたであろう彼女からは自分と同じ石鹸の香り。昨晩の大人びたドレスではないラフな格好と薄めの化粧は彼女の良さだけを際立たせ、歳相応に見せた。ピタリとした服から伸びる〈白〉に喉が鳴る。
「何時に出る」
疑問符を付けない問いかけに身支度しながら「もうちょっとしたら出るよ」とは答えた。
「……車、出してやる」
「珍しいこともあるもんだ」
「うるせぇよ。……正面に回すから準備できたら来い」
「ふふ。はーい」
柄じゃないことは自分が一番わかっている。くすくす笑うから逃げるように携帯と車のキーを持って部屋を抜け出した。駐車場からホテルの正面に車を回すと、ちょうどが出てきた。そのまま彼女を乗せて神奈川方面へと走らせた。
カーステレオからクラシックが控えめに流れる。助手席から外を眺めていると都内を抜け、神奈川に入ったようだ。「ねぇ、」と問えば、前を向いたままの彼は「……なんだ」と答えた。
「いつまでこっちにいるの?」
「さぁな」
「なにそれ」
怪訝そうな言葉に景吾は「こっちにも色々とあるんだよ」と濁すだけ。会話はそれっきりで、目的地へ着くまでに車内は静かなままだった――――。
大きな駅前でスピードが落ち、広めのロータリーの一角で車は止まった。シートベルトをはずし、荷物をまとめると運転席の方へ体を向け、「景吾」と声をかける。
「帰国して忙しいのにわざわざ車出してくれてありがとね」
「ああ」
ちらり、とこちらに視線を投げるだけの景吾、それを別段気にすることもなくさらに言葉を続けた。
「今度またうちにも顔出して。父さんも母さんも景吾にとっても会いたがってたから」
「ああ、そのうちな。……早く行かねぇと煩いのが騒ぎ出すぞ」
苦笑を浮かべる彼に再度お礼を口にして車のロックを解除する。扉を開け、足をコンクリートへ下ろそうとしてやめた。そんな私を怪訝そうに見やる景吾に手を伸ばし、その反対側の頬に唇を寄せる。わざとノイズを立てて顔を離して今度こそ車から降りた。眉間の皺がさらに深くなった彼の「はっ、やるじゃねーの」という言葉は聞かなかったことにした。
集合場所に着くと懐かしい顔ぶれが既に揃っていた。
「遅いぞ、。全くたるんどる!」
「いや、まだ3分前だから」
「久しぶりだね、」
「あー、うん。久しぶり、幸村」
「お前が降りてきた車に跡部が見えたな。帰ってきたのか」
「柳……あんた、その目でどこまで見えてんのよ」
「先輩久しぶりっす!!」
「おーやっと来たな、!待ちくたびれたぜー、ジャッカルが」
「俺かよっ!……あー……久しぶりだな」
「さん、ご無沙汰してます」
「ピヨっ」
顔を合わせた瞬間、矢継ぎ早飛んでくる小言と挨拶にああ、立海に戻ってきたんだなとそこはかとない安心感を覚えた。
「……みんな久しぶり!」
「全員揃ったし、そろそろ行こうか」
『おー』
中学からの腐れ縁は高校を卒業し、大学生になった今でも続いている。昔に比べたら会う頻度は少ないが、それでも年に数回は全員の都合を付けて集まり、テニスをするのが恒例となっていた。今日も例に漏れず行き先は屋内テニスコート。昔と変わらない幸村のかけ声でそれぞれ入念にウォーミングアップを行うのだった。
「今日こそアンタら三強をぶっ潰す!!」
「ふふ、それはどうかな」
「たわけっ!そう簡単に勝たせるか」
「よいデータが取れそうだな」
あの頃から何も変わらないやり取りを繰り広げる赤也と三強を眺めていると自然と頬が緩む。それは他のメンバーも同じようで呆れたようにしているが、優しい顔つきをしていた。
「おーまたやってんな赤也の奴」
「あっちの一面は赤也の三強潰しで使わせておけばええじゃろ」
「そうですね。では、こちらの一面は誰が打ちますか?」
「じゃあ、俺とジャッカル、仁王と柳生でダブルスしようぜ!」
「それだったら私審判するよー」
もう片面のコートではダブルス組が対決する話でまとまり、ラケットを持ってコートに入る4人に続いて私もコートに立った。最初から本気でぶつかる彼らの試合を間近で見られることはあの頃から何年経っても嬉しかった。柳生のレーザービームをジャッカルが拾い、ブン太が妙技を披露すれば仁王がトリックプレイをする。あの頃と何も変わらない試合風景に審判をしつつ私は心が踊るのを感じた。1セットマッチを終えた後も続く赤也の三強潰しが終わるまで、お遊び程度の打ち合いをする彼らに混じって私も久しぶりにラケットを握り、ラリーをしてみんなして汗だくになる。
テニスでかいた汗を流し、居酒屋でビールで乾杯して、馬鹿話で盛り上がった。
「次はぜってぇーぶちょーたちを潰すっすからね!」
「はいはい、赤也声大きいから気を付けて」
「次はいつになりますかねー」
「そこは優秀な参謀がおるから大丈夫じゃろ」
「……仁王、今度はお前が幹事でもいいぞ」
「プリッ」
楽しい時間はあっという間に過ぎ去るもので、終電の時間には解散の流れになるも改札の前で名残り惜しいような会話が繰り広げられるが、酔っぱらった赤也とブン太が騒ぎだしたところでようやく解散となり、三々五々と散っていく。そんな様子を眺めていると斜め上から「俺らも行くかの」と耳馴染みのいい声が降ってきた。
「ねぇ、この前の〈ピアス〉は?」
「ああ、まだ部屋にあるかもしれんしないかもしれん」
「なにそれ。……まさかと思うけど、そのまま放置してた?」
「さすが、ご明察じゃ」
「他の子呼ぶなら『捨てていい』って言ったのに」
「プリッ」
「修羅場に巻き込むのだけはやめて」
「自分の目で真実を確かめに来んしゃい」
妖しげに笑う雅治が差し出したその手を取ることに躊躇いはなかった。
行き慣れた勝手知ったる雅治の部屋は相変わらず殺風景だ。物が少ない分、見慣れない物はすぐ目についた。黒いテレビ台の上に置かれたピアスは紛れもなく私の忘れ物だった。
「うそつき」
「心外じゃな」
殺風景な彼の部屋のこんな目立つ場所に置かれた女物のピアスを放っておくことなんてありえない。そこから導かれる答えは簡単だった。
「修羅場なんて最初からなかったんじゃない」
「さて、何のことかのう」
ピアスを手にして膨れっ面で彼の方を振り返れば、どこまでもしらを切るらしい。わざとらしく溜息を付くと飾り気のなかった耳にピアスを付けた。お気に入りのそれはやはり自分の耳に一番馴染む。
「やっぱり似合うのう、その色」
「そりゃ雅治がくれた物だし?」
左右で違う色の石が輝く〈それ〉は幼馴染からもらった大切なものだった。
静かに眺めていたはずの雅治がゆらりと近付いてきて、あらわになった耳を撫でたのでびくりと肩が揺れた。骨ばった彼の手が首筋をなぞり、顎を持ち上げられる。考えの読めない蒼の奥に灯された熱に心臓が跳ねた。「」と低く名前を呼ばれたので首に腕を回して、背伸びをして、その熱を確かめるように身を委ねた。
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