Kiss Me...?

02. velvet glove

『……もしもし?』
「ねぇ、さっきのピアスのことなんだけど、あれしばらく預かっておいてくれない?」
『急にどうした』
「いや、今日この後バイトだし、しばらくそっち行ける時間ないの。だから〈次の日曜〉にでも返して」
『……』
「もし、他の子呼ぶのに厄介だったらそのまま捨てていいから」
『次の日曜まで〈お預け〉なんて、、お前さんもなかなかひどいのう』
「〜〜っ!馬鹿じゃないの?!」
『ふっ、冗談じゃ。ちゃんとバレんようにしちゃるから安心しんしゃい』
「もー!……じゃあ、切るね」
『ああ』

この電話以降、やはりお互いに忙しくて講義やサークルで顔を合わせることはあっても、まともに会う時間は取れなかった。彼に預けたままのピアスは結構気に入っていた物だったが、『日曜日まで預かって』と頼んだの此方だ。仕方がない。



それにこれは《恋》じゃない、幼馴染の延長線上。



講義にバイトに、学生の平日は思ったよりも忙しない。あっという間に週末を向かえてしまう。――そう、海外を飛び回っていた彼が今日、帰ってくる。指定された時刻より少し早めに指定された国内屈指の有名ホテルに入れば、各界の著名人達が既に大勢集まっていた。ホテル全体を〈貸し切り〉で行うという相変わらず得体の知れない規模の大きさに彼の人望というのか支持力に思わず溜息を零す。
立食形式の会で、各界の大御所方に挨拶して回っているとふと声をかけられた。

「お久しぶりですね、さん」

鈴のような美しい声色に振り返れば、よく知ったご夫妻が並んでいた。

「ええ、ご無沙汰しております。おじさま、おばさま」
「元気そうでなにより」
「おじさまもおばさまもお変わりなくて安心しました」
「少し見ない間に随分と大人に……綺麗になったわね」

ご婦人がうっとりと言うものだから何だか照れくさくて首を振った。

「今日はご夫妻と一緒かい?」
「両親は別件で出ているので本日は私だけです」
「そうか。息子の為にわざわざすまなかったね」
「いえ。景吾"さん"の帰国ですもの」
「あまりお構い出来ないかもしれないけれど、ゆっくりして行ってちょうだいね」
ご夫妻にも宜しく伝えておいてくれ」
「ええ、ありがとうございます」

会釈を返すと跡部ご夫妻はにこやかに次の挨拶回りに行かれた。そのタイミングで遠くの方から、わぁっと声が上がる。……どうやら主役のお出ましのようだ。落ち着いたダークグレーのスーツを纏った彼は相変わらず厭味なほど艶やかで男前。会場が一気に色めきだつのがわかる。ただそこに立っているだけだと言うのに振り撒かれる色香にあてられた銘家のご令嬢達がきゃあきゃあ騒いで、あっという間に人に囲まれる〈幼馴染〉の姿に思わず苦笑いを浮かべてしまう。
彼に近づけるようになるのにはしばらく時間がかかりそうだ、と同情と諦め半分で実家が懇意にしている方と談笑を続けることにした。そうこうしていると背後から「よお」と聞き慣れたテノールが響く。振り返らなくたってそこにいるのが誰かなんてわかる――ここに招いた張本人、跡部景吾だって。

「ご無沙汰してます、景吾さん。本日はお招き、ありがとうございます」
「ああ。……おい、」
「なんです?」

久しぶりに会った幼馴染に対してとは思えないほど無骨な態度で差し出されたのはカクテルグラスだった。ワインにも似た深紅色のカクテル。彼の手には鮮やかな翡翠色のカクテル。グラスを合わせて見た目に反して甘ったるくないそれを口へ流し込む。いつにも増して言葉数が少ない彼は胸ポケットから何かを取り出し、それを私の手に握らせその場を後にした。
会もお開きになった後、ロビーの喧騒を抜けて夜景が綺麗だと有名なこのホテルの最上階の一室を訪ねた。ベルを鳴らせば、既にスーツではなくローブを纏っていた彼が顔を出す。シャワーでも浴びたのだろう、微かに濡れた髪からシャンプーの上品な甘い香りがする。部屋に通されれば、噂に違わぬ都会の夜空が目の前に煌めいていた。

「随分と遅かったじゃねぇーか、

待ちくたびれたと言外に漏らす部屋の主はソファにふんぞり返る。くいくいと手招きされるので渋々隣に腰掛けた。

「仕方ないじゃない。景吾、急に呼び出すんだもん」
「どうせこうなることわかってただろうが」
「……そりゃそうなんだけど、」

あの朝、彼からのメッセージを見たときにこうなることは予想出来ていた。それでも認めたくなくて口ごもる私を余所に彼の手は首筋を擽り、背中のファスナーにかけられて慌てる。

「ちょっ!さすがにここじゃいやっ……!」
「あん?ベッドじゃなきゃ嫌だ、ってか?」
「〜〜っ、このドレスお気に入りなのよ。ちょっとくらい褒めてくれたっていいじゃない……」

この日の為に新調した藍色のフレアドレス。大人っぽい色合いだったけれど、花柄のレース、オーガンジーのフレアがお気に入りだった。それをこんなあっという間に脱がされるなんて勿体なくてむすっとむくれる。すると、景吾は私を立たせてくるりと回してみせて口角を上げるのだった。

「悪くねぇーな」
「そうでしょ」

エスコートされるがまま寝室のドアをくぐると、唇を奪われる。そして今度こそドレスは重力に逆らわずに落ちた。

title by 確かに恋だった