立海大附属高校に入った私は平々凡々とした日常を送っていた。
それが覆されたのは3年になって、アイツらと同じクラスになってから――アイツらに目をつけられた後だった。
常勝を掲げ、王者と謳われる強豪テニス部のレギュラーであった仁王雅治と丸井ブン太。
その目立つ容姿と奇抜なプレーは人の目を引くには十分で、モテるなんて域を超越していたように思う。
そんな彼らを知らないわけではなかった、むしろ知らない人の方が少ないくらいなんだけど。でも自分の生活とは全く縁のない人達だったから、3年の二学期まで関わることもなかった。

平々凡々だった私の日常が変わったのは席替えで仁王の隣になったことからだ。
私の何が気に入ったのかよく知らないが、それ以降何かある毎に仁王や丸井はちょっかいを出して来ることが多くなった。
そのおかげで変な噂はされるし、呼び出される回数も増えて平凡だった日常はどこかに消えてしまった。
でも何かある度に助けてくれるのは仁王であり、丸井だった。
何だかんだ言って悪い奴らじゃない。むしろ一緒にいることが心地良かった。


「……進路希望、か」

そう溜息を零して、手元にあるプリントをじっと眺めていると左隣から声がかかる。

「溜息付いちょると幸せが逃げるぜよ」

方言交じりの独特なその口調に厭味半分で「私の幸せの半分は仁王が逃がしてるから」と返す。すると、目の端に映っていた銀髪が揺れるのがわかる。
こいつ意外と笑い上戸なんだよね。初めて知った時は心の底から驚いた、何かこう笑わないイメージの強い人間だったから。

「ククっ、相変わらず面白いことを言うのう。は」
「や、別に狙って言ってるわけじゃないし……」

何がそこまでツボだったのかわからないが仁王はまだ笑っている。
ここまで笑われるとさすがに気分のいいものじゃないから、少しだけムスッとして「仁王、笑いすぎ」と彼を軽く睨む。

「すまん、すまん。が可愛かったから、つい、な?」

可愛いとか真顔で言うのやめてくれないかな。そんなことするから『女たらし』とか『恋愛詐欺師』なんて言われるんだよ。まぁ、こんなこと直接言うのは私と丸井くらいなんだけどね。

「……で、何をそんな深刻そうな顔で見ちょるんじゃ?」
「進路希望調査のプリント」

私はそう言うと手元にあったプリントを彼の前でひらひらさせた。それを見て仁王は「あぁ、そんなの配られちょったのう……」なんて、さも興味なさそうに答える。

「いいよね、仁王は」
「何の話じゃ」

厭味な言い方に仁王は少し怪訝そうな表情を見せて、こちらを向く。
窓から差し込む日差しにその特徴的な銀髪が反射して、眩しい。

「だってもう進路決まってるじゃん」
「……その話か」

相変わらず怪訝そうな顔持ちで仁王は小さく溜息を付く。そして少しの間を置いてから言葉を続けた。

「確かに内部推薦はもらっちょるが、次のテストの結果次第では取り消しの可能性もある。……意外と面倒なもんなんじゃよ」

茶化したようなその台詞。
普段から授業は殆ど出ない上に出たところでまともに聞いていた試しもないのにテストは常に上位キープ。ここまで厭味な奴だと一層清々しい気もするけど。

「……上位ランカーな癖によく言うよ」
「何じゃ、知っとったんか。……つまらんのう」

ニヤリと口角を上げて笑う仁王に若干の殺意が芽生えたけど、それはまぁ置いておいて。

再度溜息を付けば、また隣から声がかかる。

「……そう言うは進路どうするんじゃ」
「や、それを悩んでたわけよ」
「まだ決めてなかったんか?」
「決めてたんだけど、この前の模試で大コケしちゃって……。推薦は難しいだろうなぁ、って昨日担任に言われた」

推薦で決めるつもりだったのになぁ、と小さく呟くと「そりゃ残念じゃったのう。どこ狙っちょったん?」と慰めにもならない言葉を投げてくる。

「立海の国文」
「……やめとけ」
「はい?」

一瞬、仁王が何を言っているのかわからなかった。だから思わず彼の方を向いて、聞き直す。

「うちの国文のレベルがそげん高うないことくらい知っとるじゃろ」
「そりゃそうだけど……」

先程までのにやり顔はどこへやら、何時になく真剣な瞳をした仁王に心臓がドクン、と高鳴る。
こんな表情した仁王、テニスしてる時以外見たことない。

ならもっと上へ行ける。……それに、」
「それに?」

そこまで言って仁王はハッとなって口を噤んだ。
ちょっとちょっと、それはないんじゃないかなぁ、仁王くん。

「何でもなか」
「……なにそれ」
「とにかく!なら立海よりいいところがあるじゃろ。……あぁ、あそこの女子大とかええのう」

仁王は窓の方を指差して言う。
彼が指差した大学はこの近辺でも指折りのお嬢様学校だ。

「あそこって……超お嬢様学校じゃん。確かにそこの国文、偏差値高いことで有名だけど。やだよー、私そんな柄じゃないし」
「人生にはそういう経験も付きもんじゃ。ほれ、プリント貸してみんしゃい」

そう言って仁王は私の手からプリントを引き抜くとペンケースからボールペンを取り出し、私の制止を無視して希望欄に学校名を書いていく。

「あー。……仁王の馬鹿」

仁王の癖のある字で学校名が羅列されたプリントを見て私は盛大に溜息を零し、彼を睨む。
そんな私を余所目にしてやったりな顔をしている仁王。

「さっきから何騒いでんだよ、お前ら。……って、あれ。お前進路変えんの、

仁王の手からプリントを奪い返そうと躍起になっていると横から声をかけられた。
彼が持っていたプリントをしげしげと眺めつつ、丸井が問いかけてきたのだった。

「私の意思では断じてない」
「じゃあ、何で進路希望が変わってんだぁ?」
「仁王が勝手に決めて書いた」

そう私が返すと丸井は何故か吹き出して笑う。

「……なに笑ってんの、丸井」
「や、別に何でもねぇよ」
「何でもなかったら笑わないよ、普通」

唯でさえ仁王の一件で機嫌悪かったというのに、この空気の微妙に読めてない赤髪の所為で更に腹の虫の居所が悪くなる。
それでも尚、丸井は腹を抱えて笑っている。

「っはは、お前普通気付くだろぃ?あー、おっかしぃ!」

気付くって何に?と問おうとして口を開いた瞬間、仁王の「丸井」という制止が聞こえ、言葉を発するタイミングを失ってしまった。 彼の言葉に丸井は顔を顰めて「……わりぃ」と口にすると、いつの間にか机の上に放置されていた進路希望調査のプリントをまとめる。

「じゃあ、このプリント提出してくる」
「あー!ちょっと、丸井まで何てことしてんのー?!」


結局私は内部推薦をもらうことが出来なかった為、進路を変えざるを得なくなった。
外部推薦で例の女子大を受けることを仁王のみならず、丸井や担任にまで薦められた私は渋々それを了承した。どうしても推薦で決めてしまいたかったから。
そして今の状態に至る。
最初は女子大なんて柄じゃないと思っていたが、通い始めたらそうでもなかった。住めば都、ではないが慣れてしまえばどうってことはない。それどころかこの環境が当たり前に思い始めた辺りで自分の順応性に若干驚いた。

卒業してからというもの彼らとは一回も会っていない。
学校が違ってしまうと接点を持つのも難しい。
かと言って、連絡を取り合っていないわけではい。
しかし、お互いに自分から連絡をするような柄ではないから頻繁なやり取りはなかった。
それでも丸井はしょっちゅうメールをくれるんだけど。他愛もない会話のやり取り、それが何だか高校生に戻った気分で妙にくすぐったくなったのは内緒だけどね。


そんなことを考えているうちにどうやら日付変更線を超えて数時間以上が経っているようだった。
講義は……出席回数足りてるし、自主休講でいっか。そう勝手に結論付けて、再度ベッドへ潜り込む。

気が付いた時には既に夕刻で、例の合コンの待ち合わせ時間の1、2時間前だった。
このまま行かないでいようかと悩んだがそれはの顔を潰すことになるのでやめた。
仕方なくベッドから降りて、それなりに支度を始める。
出掛ける前に鏡を覗いて、そこに映る自分に思わず嘲笑。数合わせの参加だというのにここまで気合を入れている自分が何だか馬鹿らしく思えた。


「あ、。こっち、こっち!」

待ち合わせ場所に向かえば、がこっちに気付いたようで手を振ってくれる。

「来てくれてよかったぁー」
「約束したしね」

安堵の笑みを浮かべる彼女は「ありがとー!」と言って抱きついてきた。
公衆の面前で抱きつかれることに最初こそ抵抗感はあったが、今ではもう大して違和感を覚えない。
慣れ、って怖いなぁ……。

「あれ、?」
「え……、あ!丸井」

名前を呼ばれた気がしたので振り返ればそこには見知った赤髪の男。
少しだけ顔付きが大人っぽくなったかもしれない。

「久しぶりっ!……つーか、お前こういう類のイベント苦手じゃなかったのか?」
「数合わせ。……で、何で丸井がいるの?」
「あれ、聞いてねぇの?」
「何の話?」

私が首を傾げると隣にいたが「ブン太、私の従兄弟なんだよー」と声をかけてくれる。

「……元凶はアンタだったのね、丸井」
「あー、睨むな。頼むから睨むな」

じぃっと丸井を見ると急に慌てだす彼の姿が目に映る。
こういうとこ変わってないなぁ……なんてしみじみ思ってしまう。

「久しぶりじゃのう、

不意に背後から声をかけられる。
この声、この癖のあるしゃべり方の知り合いはたった一人しかいない。

「……にお、う」
恋愛未知数

'09/12